▼「Boys,be ambitious!」(少年よ大志を抱け)
1977(昭和52)年山梨県立甲府第一高等学校に入学します。勉強はほどほ
どに?、空手の個人戦で山梨県準優勝、コンサートで自作の歌を唄い、生徒会長と
して、活発に過ごします。
甲府一高には、札幌農学校で教えたクラーク博士の有名な言葉が入った碑があり
ます。
「Boys,be ambitious!」(少年よ大志を抱け)
母校の大先輩の石橋湛山元首相が書いたものです。当時落第生だった石橋元首相
が、クラーク博士に学んだ大島正健校長から教えを受け、その言葉に発奮し首相に
なったのです。在学当時はよく分かりませんでしたが、大学や松下政経塾で学ぶな
かで、石橋元首相の偉大さを知りました。
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石橋湛山元首相
▼石橋湛山元首相を尊敬する 石橋湛山元首相は、1884(明治17)年東京で生まれ、すぐ父の故郷である
山梨に移り住みます。稲門尋常小学校(現湯田小)に入学し、在学中増穂に引っ越します。 山梨県立尋常中学(現甲府一高)・早稲田大学を経て、東洋
経済新報に入ります。戦前は記者として、反植民地貿易立国を主張し、戦後の繁栄
を見通していました。 また、戦後は政治家として総理大臣にまでなりましたが、病気で国務ができない
という理由で、直る見込みがあったにもかかわらず、2カ月で退陣します。国民に
惜しまれました。その先見性、責任感には、感嘆します。
石橋湛山元首相は、私の尊敬する政治家です。
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▼明治大学雄弁部に学ぶ
21歳 お茶の水駅前での遊説
1981(昭和56)年明治大学政治経済学部政治学科に入学。同時に、雄弁部
に所属しました。 ロッキード事件から6年、田中角栄元首相は闇将軍、キング・メーカーと呼ばれ、
政治不信が深まっていました。そこで、雄弁部有志で、政治への信頼回復、政治風
土の変革を訴えて、街頭演説を行いました。 一方、ディベート(討論)大会に参加し、学生日本一になりました。関東15大学
の弁論部で構成する全関東学生雄弁連盟の事務局長・委員長としても、活動しました。 また、学業でも富田信男先生(日本政治史・政治過程論)のゼミに入ります。イ
ンター・カレッジ・セミナーという、10大学の政治学のゼミの交流会があり、大学
対抗討論会や合同合宿などで、勉学を積みました。 リンク[明治大学]
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▼めざせステーツマン 理想の政治家のことを英語では、ステーツマン(STATESMAN)といいま
す。その言葉には「国家の人」と「言論の人」の2つの意味があります。つまり、
理想の政治家とは、国や地域、人々を自分のことのように考え、言論によって国民
の支持を得る人であるということです。ケネディや石橋湛山元首相が当てはまると
思います。 しかし現状の政治は、国や地域全体のことより一部への利益誘導がまかり通って
います。公約は破られ、演説は廃れ、国会討論は形ばかりです。政治は密室で行わ
れ、言論も地に落ちています。政治が分かりにくいのも当然です。 私はステーツ
マン(理想の政治家)のような、国民のことを自分のことのように考え、学生時代
から培った言論を中心にしたわかりやすい政治をめざします。 [トップへ戻る]
[経歴@生いたち][経歴A原点]
[経歴B松下政経塾] [経歴C挑戦]
[1993年から現在は活動報告へ]
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