平成4(1992)年30歳の時、政治腐敗事件のさ中、地域を良くするためには、政治を抜本的に変革しなければならないと考え、政治活動に入る。県民の生の声を聞くため、農工商の様々な職種で労働体験実習を行う。
平成5(1993)年7月32歳の時、第40回衆議院議員選挙(最後の中選挙区制定数5)に、無所属で立候補し、3万1741票を獲得する。
平成7(1995)年7月34歳の時、第17回参議院議員選挙(山梨選挙区定数1)に立候補して、10万1317票を得たが、惜敗する。
平成12(2000)年6月38歳で、第42回衆議院議員選挙(山梨第一選挙区)から無所属で再々挑戦したが、1万5803票で落選する
。
平成17(2005)年第44回衆議院議員選挙(山梨1区)から、自由民主党公認で立候補し、65,426票で選挙区では惜敗したが、比例区復活当選する。
国会では、法務委員会委員、国土交通委員会委員、厚生労働委員会委員。自民党では、国会対策委員会委員、広報本部文化スポーツ局次長、組織本部青年局顧問、女性局次長等。若手議員政策研究会「伝統と創造の会」事務局長。日本会議教育改革刷新委員会事務局長。専修学校振興議員連盟事務局次長等。
平成21(2009)年第45回衆議院議員選挙(山梨1区)から、自民党公認で立候補し、46,881票で落選する。 |