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1999(平成11)年8月1日付
あかいけ まさあき 暑中お見舞い申し上げます。 暑い日が続きますが、お健やかにお暮しのことと存じます。 マスコミ報道でご心配をおかけいたしておりますが、民主党山梨県連幹事を辞職に至る公認問題の経緯は以下です。政治信条 私は、1991年政治活動を開始して以来、@オープンで開かれた政治、A言行一致で信頼できる政治、B一部利益ではなく全体利益を追求するクリーンな政治を自らの信条としてきました。そして、「分権」社会をつくり、物心両面ともに豊かで、平和で幸福な社会をつくりたいと考えてきました。 93年無所属で衆議院選挙、95年新進党公認で参議院選挙と、国政に2回挑戦してきました。今日まで、一貫して国政をめざして、活動を展開してきたのです。 95年参院選後、当時属していた新進党本部執行部の運営、地方組織を軽視し、議論がないまま密室で一部幹部だけで決定する非民主的な手法に対し、1年半以上にわたり党改革を訴えましたが、ことごとく拒否され、新進党に対し限界を感じていました。小沢代議士の呼びかけによって、民主党参画へ 96年の衆院選・南関東ブロックの比例区での当選ランク外での新進党本部からの出馬要請をきっかけに、新進党に見切りをつけました。 そんな時に、民主党が結党され、小沢鋭仁代議士からの呼びかけによって、政治信条にそって、選挙前に新進党に離党届を出し、新しい政治をつくるために民主党への参画を決めたのです。そして、衆議院議員選挙前に、民主党本部で、小沢代議士とともに、鳩山由紀夫・代表(当時)と会い、衆院選2区の杉本公文氏への民主党推薦と、私赤池への民主党公認での参院選へ出馬することを合意いたしました。 衆議院議員選挙においては、私は新進党を選挙前に離党し、フリーな立場で、1区はこしいし氏、2区は杉本氏を全力で支援したのです。97 年参院選への立候補を断念 97年末民主党山梨が結成されることになり、設立準備会に入り、県連副代表兼政策調査委員長となり、私の後援会・新誠会からも民主党役員を出して、設立と党勢拡大に尽力します。 98年2月県民大連合統一候補として、こしいし東先生に決定いたします。私は、決定のプロセスに関しては小沢代議士サイドに対して、異論反論もありましたが、国民のために、後援会の皆様と相談をし、次回のために参院選出馬を断念します。こしいし先生を全力で支援し、皆様はじめ大勢の方々の応援もあり、参議院選に勝利しました。連絡なしでの公認調整 98年参院選後、公認問題については、小沢代議士から3区での立候補打診がありましたが、統一民主党結成前であり、もともと1区希望で参院選に回った経緯から、保留しておりました。 98年12月4日、東京のホテルオークラで、羽田孜幹事長を交えて、山梨県内の国政関係者が、初めて一同に会して公認問題が議論される場が持たれます。私は「2回の国政挑戦の経緯から、基本は衆議院議員選挙山梨第1区、参院選へも視野に入れているが、最終的には党の調整に従う」と言明しました。山梨での統一民主党結成もめどがつき、これから、公認調整の議論が公の場で本格的に始まる第一歩だと思っていました。 しかし、その後民主党山梨・小沢代議士サイドからは、まったくの連絡がないまま、今年になってすぐに、水面下で衆議院1区3区の公認だけが決定されてしまったのです。 今年1月ここ民主党県連の幹事会で、公認決定に対し承認できない旨を述べ、途中退席させていただき、抗議の意味をこめて幹事会へは欠席し、今日まできました。
立候補打診が二転三転と変る この7ヶ月間、民主党山梨・小沢代議士サイドからは、県議選に出ろとか、2区が空いているとか、私の後援会幹部に対し、参院選への立候補を打診したり、本部から私に直接参院選への出馬打診をさせてみたり、あの手この手でいろいろなお話を受けました。しかし、そのような公認問題については、私が知る範囲では、7月に下旬まで、公での場での議論はまったくなされていないと認識しております。真意を知るために、質問状を提出し、後援会で協議 そこで、いったい民主党山梨・小沢代議士サイドの真意はどこにあるのか、あえて後援会から、5月にあかいけまさあきの政治方針についての考え方を聞く質問状を出させていただいたわけです。 その際にも、私や私の後援会の事務局や幹部の所あちこちに、電話を入れて、質問状を出すなとか、後援会を撹乱するようなことを受けました。 1ヵ月以上経っても、結局正式な答えはなく、それを受けて、7月14日に後援会幹事会を開催しました。「原点に戻って、衆院選1区で戦うべきだ」「戦える裏付けはあるのか」など、意見が出ました。その結果、以下2点を決議いたしました。
小沢代議士からの申し出 その後、7月27日、小沢代議士サイドから1区総支部として会いたいという申し出を後援会が受け、羽田孜民主党本部幹事長からも電話が入り、後援会幹部につれられ私も出席し、議論いたしました。その席上において、それぞれの意見は交換しましたが、合意したものはありません。しかしその翌日、後援会幹部の所へ、@公認問題は誤解、A広報宣伝局長として、党勢拡大に尽力する、B1区総支部は赤池氏の国政への希望を認識し、その実現に努力するといった、抽象的な合意文書をつくり、後援会としては、あくまで本人一任であるにもかかわらず、私の後援会幹部へ妥協を迫りました。 そして、7月31日に民主党山梨の幹事会が開催されます。その席上、小沢代議士が支部長をつとめる、1区総支部から、7月30日に開催された1区幹事会の報告として「あかいけ氏の国政挑戦への対応は、2区や参院選への出馬を含むために、1区総支部で協議ができないので、県連へ対応を任せたい」というのです。 これでは、私の公認問題への責任の所在ははっきりしないまま、たらい回しです。 私は、今年1月以来公認決定過程の不透明さについて、クレームをつけてきました。7ヵ月以上経っても、非常に残念なことですが、民主的なプロセスを経るという、誠意と責任ある対応がいただけませんでした。
民主党山梨県連の幹事を辞職 民主党は、自民党自由党公明党の連立政権が発足する今、非常に重要な政治責任があると思います。民主党の理念と政策がいまこそ活かすときだと確信をしております。しかし、残念ながら山梨県内においては、現状の小沢代議士がリードする体制では、県民の信託には応えることができないと思います。いまは私が以前批判し離党した新進党と同様、閉鎖的で一部の幹部が自己利益のみの追求で独断専行し、党名とはかけはなれた非民主的な手法で、党を運営し、人の政治生命を軽じて、公認問題を取り扱っています。 それでは、一緒に新しい政治をつくることはできませんし、有権者に対し、信頼を勝ち取り、選挙に勝利し、政権を担うことはとてもできるものではありません。 私は、党の広報宣伝局長として、この7ヶ月間職務を遂行できなかったことのお詫びを申し上げるとともに、小沢代議士サイドに対し、抗議の意味から、その場で幹事を辞職させていただきました。
原点に戻って、政治へ挑戦 私は、@オープンで開かれた政治、A言行一致で信頼できる政治、B一部利益ではなく全体利益を追求するクリーンな政治を自らの信条としてきました。しかし、小沢代議士サイドとは、政治信条で相容れないものがあり、今回幹事を辞職します。しかし、民主党そのものの理念と政策は共鳴しており、自分なりにその実現のために、引き続き全力をつくしてまいる所存です。 次回の8月11日の幹事会で、最終的な結論を出したいと考えております。 「分権の時代」をめざし、今度こそ国政を変えたいという信念をもって、決断します。 率直なご意見を宜しくお願いいたします。 |
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