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 赤池 誠章・政経レポート 1月1日号 2001年新年にあたって
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新年のご挨拶を申し上げます。

昨年は、お世話になりました。

今年も、よろしくお願いいたします。



■2000(
平成12)年を振り返って 「民主政治の病」

2000
年は、私にとって、多難の年でした。

政治活動では、無所属で3度目の国政挑戦も失敗。
仕事面では、日本航空学園グループJAA財団の事務局を手伝うことになりました。
詳細はwww.jaa-net.gr.jp へ
プライベートでは、1129日父を前立腺ガンで失いました。

一方、日本も、多難の年でした。

小渕首相が突然病気で倒れ、密室談合による森内閣の誕生。
私も出馬した、衆院選は、自公保の連立内閣が過半数を制したものの、議席を減らし
て、野党が躍進しました。森内閣は存続することになったとはいえ、本格政権とはほど遠いものです。
そして、加藤・山崎両派の不信任案をめぐるドタバタ劇でした。

日本の民主政治は、派閥と政党間の駆け引きのなかで、病にかかり、死にかけています。

日本政治の混乱に歩調をあわせたように、経済も不透明感が増しています。

日本のみならず、世界最大の経済大国アメリカでも大統領がなかなか決まらず混迷
し、経済はいよいよ減速鈍化してきています。


■20
世紀の100年を振り返って 「繁栄と戦争の世紀」

今日から21世紀が始まります。

ミレニアムといい、世紀といい、どれだけ西洋諸国の暦が、時代の区切として実態があるのかわかりませんが、一応の区分として述べたいと思います。

 20世紀の100年は、大雑把に一言でいうと科学技術の急速な発展にともなう「繁栄と戦争の世紀」だと思います。

 

新聞の大晦日特集20世紀100年の特集データを見ると、改めてそう感じます。

 

この100年間で世界の人口は4倍になり、経済規模は14倍に増大しました。

そのなかで、日本の人口は2.9倍、経済規模は65.6倍になりました。

世界に占める日本の経済規模は、2.5%から13.4%にも拡大しました。

世界一のアメリカは、経済規模が26.5倍になり、比率は15.8%から29.2%になりました。

日本は巨額な財政赤字を抱えていますが、対外純資産や政府開発援助は、世界一です。

経済面からいうと20世紀は「日本の世紀」だったかもしれません。

 

一方で、第1次世界大戦で、1000万人近い人が戦死し、第2次世界大戦では4800万人

の人が亡くなりました。科学技術は、繁栄をもたらした反面、戦争に多大な犠牲を強いる

ようになりました。この100年で1億人が戦死したのではないかともいわれています。

いまでも、世界では10の地域で戦争が、25の地域で内戦が行われています。

人類は、数千年の歴史を経ても、残念ながら紛争解決のための決め手になる方法を

手に入れてはいません。

 

さらに、フロンガスによるオゾン層の破壊と有害紫外線の害、炭酸ガスによる地球温暖化

などの地球環境問題や、人口爆発、人類は難問に直面しています。

 

■「民主政治の世紀」

 また、この100年は、「民主政治の拡大」とその反発の歴史ともいえるでしょう。

 民主政治とは、政党が多数あり、指導者が国民から選ばれ、野党も合法的に政権獲得の

チャンスがある政治体制と定義しておきます。

 

1900(明治33)年には、世界に130カ国がありました。そのうち、75カ国が植民地か保護国

で、残りはその他の分類でした。

2次大戦後の1950(昭和25)年には154カ国となり、22の議会制民主主義国家が生まれ、

全体主義国家が12、植民地・保護国は74、その他が46となりました。

 

それが、現在192カ国に増えて、議会制民主主義国家は120、全体主義国家は5

植民地保護国は2、その他が65となっています。

 

民主政治を資本主義・アメリカ文明の象徴として、マルクス主義や民族主義、原理主義

などの立場から反発がありましたが、この100年確実に拡大しました。

 

     有権者の拡大と投票率の低下

 

日本の民主化は、1875(明治18)年内閣制度が発足し、1889(明治22)年明治憲法が発布され、

1890(明治23)年の第1回衆院選から始まりました。

 

当時の有権者は国税50円以上納めた25才以上の男性だけに与えられました。

有権者数45万人で、投票率は歴代最高の93.75%でした。

 

1902(明治35)年 男子制限選挙 有権者数982,868人(投票率88.39%)

1928(昭和3)年 男子普通選挙 有権者数12,408,678人(投票率80.33%)

1942(昭和17)年 戦前最後の男子普通選挙 14,594,287人(83.16%)

1946(昭和21)年 男女平等普通選挙 36,878,420人(72.08%)

2000(平成12)年 有権者一億人突破選挙 100,492,328人(62.49%)

 

この100年日本の有権者は、102倍に拡大しましたが、逆に投票率は26%も低下して

しまいました。

 

     総理大臣・内閣の短命化

 

政治リーダーである総理大臣は、短命化の傾向にあります。

 

1875(明治18)年に内閣制度が発足してから、現在まで内閣は86代生まれ、

総理大臣は55人誕生しました。

 

内閣の平均在職年月は14ヶ月、1人の総理大臣の通算在職年月は21ヶ月です。

日本の総理大臣の任期は、2年といいことであり、各大臣にいたっては14ヶ月で交替

となります。これで、本当に日本の舵取りができるのでしょうか。交替する政治家に

比べれば、日本の官僚は基本的に代わりません。官僚政治にならざるを得ないのも当然

かもしれません。

 

時代ごとに比較してみると、

明治期の内閣は平均2年近く持ち、首相は通算すると平均38ヶ月近く在職しています。

維新の元勲たちの活躍があり、藩閥政治の弊害も生んでいました。

時代が経る、大正・昭和戦前期は短命化します。

大正期の内閣は14ヶ月弱、首相は16ヶ月。

昭和戦前期の内閣は11ヶ月、首相は14ヶ月弱でした。

護憲や普選運動、恐慌と戦争への道と政治は揺れ動きます。

 

昭和戦後期は、敗戦直後の一時期を除いて、高度経済成長とともに、長命化します。

内閣の平均は14ヶ月、首相は23ヶ月近く持ちました。

 

平成になると、腐敗と汚職、それに対応しようとする政治改革、政界再編成、バブル崩壊

後の経済不況と重なり、短命化します。

内閣は1年も持たず、首相は15ヶ月と続きません。

内閣と首相の在職年月からみると、平成は昭和戦前期と同様に、時代の荒波に翻弄され、

政治は混迷に陥っています。

歴代総理大臣の一覧は、http://www.kantei.go.jp/jp/rekidai/ichiran.html

 

     総理大臣の生まれ方

 

平成時代の総理大臣の交代をみると、私たち国民が投票する総選挙を通じて生まれた

わけでなく、党内の派閥抗争や政党間の駆け引きによって生まれたもので、

いかに民意とかけ離れているかわかります。

 

・この12年間10人の総理大臣が生まれましたが、竹下内閣は5年続いた中曽根内閣から

の禅譲で生まれました。その竹下内閣はリクルート事件の腐敗にまみれて、17ヶ月で

退任します。

・竹下派の密室の談合で生まれた宇野内閣は、女性スキャンダルと参院選の敗北によって、

66日で終わります。

・さらに、竹下派に担がれて海部内閣は生まれ、政治改革をめぐって竹下派から引導を渡されて海部内閣は倒れます。

・その後生まれた宮澤内閣は、竹下派の分裂と政治改革の消極姿勢から、内閣不信任案が

可決されて、衆議院選挙に突入して、与野党が逆転して下野します。

・細川内閣は与野党逆転のなかで、少数党の党首を選挙後に担いで誕生しました。細川

内閣は選挙を通じて一見生まれようにみえ、圧倒的多数の国民の支持が生まれましたが、

政党間の駆け引きという実態は変わらず、個人的なスキャンダルをきっかけに退陣します。

・細川内閣を受けて誕生した羽田内閣は、与党の分裂によって、少数与党に転落して、

64日で内閣総辞職を余儀なくされます。

・自民党と社会党の連立で生まれた村山内閣は、自民党の橋本総裁へ禅譲されます。

・橋本内閣は、構造改革路線を掲げましたが、景気後退のなかで、参院選の敗北の責任を

とって、退陣します。

・自民党の総裁選挙の形をとって、小渕内閣は誕生しましたが、病気で退陣します。

・森内閣は小渕首相の病気退陣を受けて、緊急避難的に密室談合で決まります。衆院選を

乗り切っても、一向に本格政権にはほど遠い実態です。

 

参院選をきっかけに、宇野・橋本内閣は退陣しましたが、衆院選を通じて生まれたのは

人気が高かった細川内閣だけでした。その細川内閣も、政党の密室での駆け引きという

実態は従来と変わらず、個人的事件もあって早期に退陣を余儀なくされました。

 

総理大臣が代わるだけでなく、政党も変遷を繰り返しました。

名前の変わらなかった政党は自民党と共産党だけで、後の政党はすべて変わりました。

 

これでは、国民が政治不信になるのも当然で、投票率が下がるのも当然だと思います。

政治不信を打ち破ろうと選挙に3度挑戦した私でさえ、政党再編の余波をうけて、

自分自身が翻弄されて、正直政治不信が深まり、無力感に何度も襲われました。

 

     いまこそ首相公選の実現を

 

21世紀を、20世紀以上に、環境や人口爆発に配慮して持続的に発展させて、そして、

20世紀の課題として残った紛争解決・平和創造のリーダーシップを取るために、

世界経済の1割の規模を持つ日本の役割は、大きいものがあります。

 

国内においても、有権者の政治参加を進め、派閥政治を打ち破り、民意の反映と統合

を確実なものにさせ、財政と福祉のバランスを図るためにも、政治的リーダーシップが

求められています。

 

私は、以上の国内外の課題に日本が果敢に挑戦するために、改めて首相公選制の導入を

提起したいと思います。

 

首相公選は、万能薬ではありません。しかし、少なくても政治家が世襲して若くして

国会議員となり年功序列で出世し、人柄と寝回し、集金能力だけで首相になるという

ことは許されなくなると思います。

派閥や政党間の力学だけにとらわれず、国民に向かってビジョン政策を訴え、討論する

ことによって、国民の関心を高め、政治参加を促進し、民主政治発展の一助には確実に

なると思います。

平均2年で交替してしまっていた、日本の首相が、少なくても任期4年、再任されれば

8年間国政を担当することになります。国内外に難題山積のいま、じっくりと腰をすえて

課題に取り組むことができると思います。

 

     首相公選の会 発足

 

昨年の1125日、東京で日本政策フォーラム「首相公選の会」が設立されました。

首相公選を実現させるために、超党派の国民運動の推進が目的です。

私の先輩である松下政経塾4期生の小田全宏氏が会長となり、6期生の坂東弘康氏が副会長

に選出されました。

 

運動方針は以下です。

・第一次運動 拡大推進委員会結成

首相公選制を推進して頂くにあたり中核をになう、各年齢層・各組織の代表的シンボルパーソン

を集め、委員会を結成する。

20001125日「首相公選の会」推進委員会結成会 開催
場所 日本青年館 国際ホール 1800開場 1830開演

 

・第二次運動 各地域実行委員会結成 「首相公選論」本出版
国民署名を大々的に推進

全国各地に首相公選の会実行委員会を結成し、各地の浸透を図る。それと共に、インターネット

ホームページを立上げ、サイトからの署名ができるようにする。

 http://www.shushokosen.org 現在ネット署名者約200

2-1「首相公選論」本出版
当会活動の柱となる首相公選について広く知って頂く為、世界の情勢も交えながら

今までの日本とこれからの日本を対比しながら今なぜ「首相公選」なのかを説く

2-2首相公選の会 大実行委員会
各地の実行委員が集結し、3千人大実行委員会を行う。
期日:2001329
場所:東京厚生年金会館

 

第三次運動 1260万人署名

郵便・FAXEメール・Webサイト・iモード 各種媒体により、一斉に署名開始。

来年末までには到達させる

 

第四次運動 国会へ行こう!プロジェクト

200169日(土)午後2時から4時まで、12,600人が国会議事堂の周りに集まり、

国会議事堂を回った後「首相公選」に対する思いを国会議員宛に手紙を出す運動

 

・第五次運動 日本列島縦断リレーシンポジウム

全県において、各1000人規模のシンポジウムを開催する。

 

・第六次運動 来年の参議院選挙において、首相公選制賛同者が参議院議員過半数になる

 

・第七次運動 300小選挙区において実行委員会を結成し、各委員会でシンポジウムを開催

 

・第八次運動 次期衆議院総選挙において、首相公選制賛同者の衆議院議員を2/3以上にする。

 

・第九次運動 憲法部分改正案決議

 

・第十次運動 日本初の国民投票実施

 

・首相公選制実現

 

     首相公選制の提唱者との出会い

 

1215()東京のアジア会館で、憲法政治学研究会に参加しました。それは、早稲田大学名誉教授の小林昭三先生を中心とする憲法学者の研究会です。

小林先生は、昭和30年代中曽根首相が提唱した首相公選制の理論的な裏付けをなさった

方です。そのお弟子さんが、山梨大学におり、私がホームページで首相公選の提言をした

ことがきっかけとなり、電子メールをもらい、交流が始まり、研究会にお誘いを受けたも

のです。

 

小林先生とお話すると、ご子息が実は私と大学時代の友人であることがわかったり、

非常に不思議な縁を感じました。

小林先生の首相公選の詳細は、後日紹介したいと思います。

 

■首相公選 山梨実行委員会の立ち上げ

 

以上、山梨で首相公選実現のための実行委員会を217()に開催いたします。

首相公選制の提唱者である小林先生の門下生で、山梨大学の池田実助教授、首相公選の会の板東弘康副会長をお招きします。

 

時間と会場、内容は決定し次第、後日連絡いたします。

ふるってご参加をお願いいたします。


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最新更新日06.03.20

 

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